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ねむれない

眠れない夜中には、思考が極端になりがちなのはよくあること。
こういうときには、なんだか無気力な、社会不適応なことをたくさん考えてしまう。

眠れないときにいつも思い出すのは、高校のとき理科の先生が言ってたこと。
彼は大学のとき、自らをモルモットにしてある実験を行った。

彼は人間の体内時計が本当に24時間を1日として設定されているのか疑問を持った。
そして部屋中の時計をしまいこんで、時間を知る方法を絶ち、空腹なら食べ、眠くなったら寝るという生活を始めた。
すると、何度か日が昇り沈むうちに、夜に起きて朝に眠るようになった。
そしてしばらくそのまま続けていると、また目が覚めたら朝がやってきて、暗くなったら眠るようになったそうだ。
この結果は、人間の体内時計は、1日が24時間ではないことをあらわしている。

もちろん、たった1度、一人の人間が行った実験の結果をあてにすることは出来ないし、彼が本当にこんな実験をしたのかさえも、定かではない。

まぁ仮に、人間の周期が1日24時間じゃなかったとして、

だけど我々の社会では1日が24時間に設定されていて、毎日同じ時間に仕事にいかなくてはならず、そのためには眠る時間や食べる時間をそれに合わせて調節しなければならず、それは自己管理能力などと呼ばれ、社会人たるものが当然のごとく持ち合わせていなければならないとされている。

自己管理能力の低い人間は、尊敬されず、信用を失い、仕事ができないとみなされ、職を失い、食べられなくなる。その恐怖からのがれるために、私たちは肌身離さず時計を持ち歩き、携帯のアラームをセットし、携帯には保険のためのスヌーズ設定までついている。

地球が1回自転する間の時を計る方法や、時を知らせる方法は、どんどん発達してきたけど、人間の体内時計の周期に合わせてシステムを作り上げることを考えた人はいなかったのだろうか。
もしもそのシステムが出来上がれば、私たちは、たとえば渡り鳥が一斉に飛び立つように、苦もなく歩幅をあわせて、平和に規則正しく暮らしていけるのではないのだろうか。

時間のずれから生まれるひずみを埋め合わせる必要のない世界。
宗教や、自己啓発セミナーや、精神科の必要のない世界。
でも、もしかしたらそのような世界では、言語や、歌や、芸術すらも必要なくなるのかもしれない。

そんな想像をしたところで、結局私が24時間を1日としたシステムの中で生きているということに変わりはないのだけど。

眠れない夜のたわごとでした。